名刺は持ち歩かないでおこう。

 寿司を断る口実は考えずに済んだ。電話がかかってこなかったのである。負け惜しみではなく、ほっとした。前に座って、美しいなあと眺めるか、よほど話術が巧みか、将来性があるかでなければ食事をする価値はない。しかし、美しいだけでも間が持たないのは週末出逢った青い目のトルコ人技師で立証済みだ。電話番号は口頭で渡していたものを携帯に打ち込んでいた。今後も賑やかなバーで、口述で番号を渡す事にしよう。次に会うときまでにはほとぼりが冷めていることを期待して。

 食事一度も侮れない。一度のご飯の後で、私の休暇明けに「今度いつ会える?」とSMSでぬかしてきた医師はRiekoに、「僕たちの事を彼女は何か言っていた?」と聞いてきた。「僕たち?あなたと彼女?何かあったの?」と目を丸くして聞き返してみたとのこと。R曰く、「あれ、デートでもなんでもないですよ。ビュッフェだし。私もいたじゃないですか。2人じゃなくて4人ですよ。いつ会える?はせめて3回食事してからですよ。」いやあ、ごもっとも。
 一度だけランチしたアメリカ人のおじさまも、食事中に関心がないことを示唆すると、次回でくわしたときに気取った大学生のようにすれ違い様にhiと立ち止まりもせずに通り過ぎた。外交官なんだから立ち止まって握手して挨拶しろ。そしたら私も「先日はごちそうさま」の社交辞令をするから。

 電話番号を配って、電話に出ない、という作戦はいつまた顔を会わすか分からないから気まずい。関心の無い相手にはなるべく早くに芽を摘むに限る。「今私の名刺を切らしているからあなたの名刺をちょうだい、は良いですよ。」とRはしたり顔。たしかに、それは電話して欲しくないという意思表示だから悪くないかもしれない。拒絶サインを引き続き探求しよう。この街では町内会の寄り合いみたいにまたすぐに顔を合せるから、気に入った人ができればまた遭遇するチャンスに恵まれる。ただしこじれると狭い社会でやりづらい。
 この前着席の食事会で息をのむ程にこの業界にしてはかっこいいドイツ人がいた。隣に座ったからラッキーと思いきや、私に背を向けて反対側の自分の同僚とどうでもいい話に夢中になっている。途中二言三言交わすけど、話すと子供っぽくて行儀が悪い。この印象も注意が自分に向けられていたら違うんだろうな、と思いながらRに報告。「あ、それってMですよね。」とさすが狭い社会、前回のカナダ人の時と同様にすぐに特定。「私も最初はかっこいいと思ったんですけど、食べ方汚いし、落ち着きないし、貧乏揺すりするし、だめですよ。」人の事となると容赦ない。くりかえすが、次回のワイン・テイスティングに大いに期待。