セットで誘うのは止めてみたらどうでしょうか。

 Riekoはアダモと隔靴掻痒なメールのやり取りをしているらしい。誘うなら誘え!といいいたい中途半端な「元気?」「疲れてる・・」の応酬。そして、月曜日にRの元に放蕩息子から茶の誘いが来たらしい。「無視しちゃいましたけどね。」というので、このタイミングで私は月曜日の夜にコーヒーを飲みに行った事を話した。割り勘だったことは付け加えなかった。言えばまたRが「(割り勘なんて)信じられない!」と怒りだすから。でも私も早々と財布を出して支払いの準備をしといた。奢られる気がなかったから。でも奢る気がないのなら、その後に艶っぽいメールを寄越すな。まあ、こちとて数百円で発展を妨げられるなら安いものよ。

 「ん?」とRが考え込んで、やっぱり怒りだした。割り勘のことじゃなくて。「いつお茶飲んだんですか?月曜日?それじゃあ、同時にメールを送っていたってことじゃないですか。どうしてここで通じてることに気がつかないのかしら。放蕩息子といい、Kさんといい、医師といい。まったくもう。」怒っても無駄である。私たちが軽くあしらっていると同じように向こうも誰でも良いしどっちでも良いのである。例え仲良しの同僚であろうとも。「お茶飲もう、」だの、食事の後で「何もしないからうちに寄ってかない、」だの、「今晩ご飯食べないか、」とまったく同じ事を同じフロアで働く私たちに同じようなタイミングで尋ねる。男子とはかくも不思議な生き物よ。女子はたとえ、お茶を飲むだけでもオンリーワンじゃなきゃいやなのに。なんだかとっても生物学的。

 去年まで違う都市で一緒に遊んでいた10歳下のRyderがバンコクに秋に来るという。会おうね!と適当な約束をして、こういうプラトニックな友人がどうして今の街ではできないのだろう、とRと嘆いた。いや、友人を捜している訳ではないのだが、誰でもどっちでもいいと思われている相手と深い関係になるのは、からきし興味はなし。せめて友情でどうかしら。